年号 |
西暦 |
年齢 |
等伯関連事項 |
一般事項 |
天文8年 |
1539 |
1 |
能登国七尾(現 石川県七尾市)に生まれる。
実父は能登守護畠山氏の家臣・奥村文之丞宗道、のちに染物屋を営む長谷川家(宗清・法名道浄)の養子となるか。 |
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天文12年 |
1543 |
5 |
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狩野永徳生まれる。 |
弘治1年 |
1555 |
17 |
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弘治の内乱、能登守護畠山氏内部での主導権争い激化する。 |
永禄3年 |
1560 |
22 |
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前田利春(前田利家の父)没。 |
永禄6年 |
1563 |
25 |
「日乗上人像」(羽咋市・妙成寺蔵)を描くか。 |
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永禄7年 |
1564 |
26 |
「十二天図」(羽咋市・正覚院蔵)を描く。
「日蓮聖人像」「鬼子母神・十羅刹女図」「釈迦・多宝仏図」(高岡市・大法寺蔵)を描く。
「八臂弁財天十五童子画像」を描くか。
木彫「日蓮聖人像」(七尾市・本延寺蔵)を彩色。 |
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永禄8年 |
1565 |
27 |
「日蓮聖人像」(七尾市・實相寺蔵)を描く。 |
畠山家重臣が共謀し、能登守護・義綱を追放、その子・義隆を擁立する。 |
永禄9年 |
1566 |
28 |
「三十番神図」(高岡市・大法寺蔵)を描く。 |
大徳寺聚光院創建。狩野永徳、障壁画「四季花鳥図」を描く。 |
永禄11年 |
1568 |
30 |
「涅槃図」(羽咋市・妙成寺蔵)を描く。
長男・久蔵生まれる。 |
織田信長、足利義昭を奉じて上洛する。 |
元亀2年 |
1571 |
33 |
養父・宗清(道浄)、養母・妙相没。
この年に上洛か。 |
織田信長、比叡山を焼き討ちする。 |
元亀3年 |
1572 |
34 |
「日堯上人像」(京都市・本法寺蔵)を描く。 |
日堯上人没(享年30歳)。 |
天正1年 |
1573 |
35 |
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織田信長、京を焼く。
武田信玄没(享年53歳)。
織田信長、足利義昭を京より追放。 |
天正4年 |
1576 |
38 |
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織田信長、安土城を着工し、狩野永徳ら障壁画を描く。 |
天正5年 |
1577 |
39 |
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上杉謙信、七尾城を攻略。能登畠山氏滅亡。 |
天正7年 |
1579 |
41 |
妻・妙浄没。 |
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天正9年 |
1581 |
43 |
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織田信長、前田利家に能登一国を与える。 |
天正10年 |
1582 |
44 |
大徳寺総見院に「水墨山水、猿猴、芦雁図」(現存せず)を描くか。 |
本能寺の変、織田信長自刃(享年49歳)。 |
天正11年 |
1583 |
45 |
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賎ヶ岳の戦。前田利家、加賀半国を加増され金沢に入る。 |
天正17年 |
1589 |
51 |
「大徳寺山門天井画・柱絵」を描く。現存する唯一の「等伯」記念作品。
大徳寺三玄院「山水図襖」(現 圓徳院及び楽家蔵)を描く。
妙清を後妻に迎える。 |
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天正18年 |
1590 |
52 |
御所造営に際し、対屋の障壁画制作をめぐって狩野永徳一門と対立。
この頃「竹林猿猴図屏風」(京都 相国寺蔵)描くか。 |
豊臣秀吉、全国統一。
狩野永徳没(享年48歳)。 |
天正19年 |
1591 |
53 |
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豊臣秀吉、子・鶴松哀悼のため、祥雲寺創建。
千利休自刃(享年70歳)。 |
文禄1年 |
1592 |
54 |
日通上人「等伯画説」(京都・本法寺蔵)この頃筆録されるか。
長男・久蔵「朝比奈草摺曳図絵馬」(京都市・清水寺蔵)を描く。 |
文禄の役。 |
文禄2年 |
1593 |
55 |
「祥雲寺障壁画」(現 京都市・智積院蔵)完成か。
長男・久蔵没(享年26歳)。 |
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文禄3年 |
1594 |
56 |
「春屋宗園像」ニ幅(京都市・三玄院蔵)を描く。 |
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文禄4年 |
1595 |
57 |
「利休居士像」(京都市・不審庵蔵)を描く。 |
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慶長1年 |
1596 |
58 |
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慶長の役。 |
慶長3年 |
1598 |
60 |
「妙法尼像」(京都市・本法寺蔵)を描く。 |
妙法尼没(享年73歳)。
豊臣秀吉没(享年63歳)。 |
慶長4年 |
1599 |
61 |
「仏涅槃図」(京都市・本法寺蔵)を描き、宮中に持参したのち、本法寺に寄進。
この頃本法寺本堂に天井画と襖絵(天明8年消失・現存せず)を描くか。
妙心寺隣華院「山水図襖」(京都市・隣華院蔵)を描くか。
この頃から「白雪舟五代」を自称する。 |
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慶長5年 |
1600 |
62 |
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関ケ原の戦。 |
慶長6年 |
1601 |
63 |
大徳寺真珠庵「商山四皓図襖」「蜆子猪頭図襖」(京都市・真珠庵蔵)を描く。 |
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慶長7年 |
1602 |
64 |
南禅寺天授庵「商山四皓図襖」「禅機図襖」「松鶴図襖」(京都市・天授庵蔵)を描く。
大徳寺「高桐院障壁図」(現存せず)を描くか。 |
南禅寺天授庵再興。
大徳寺高桐院創建。 |
慶長8年 |
1603 |
65 |
日親上人筆「本尊曼茶羅」を本法寺に寄進。 |
徳川家康、征夷大将軍となり江戸幕府が開かれる。 |
慶長9年 |
1604 |
66 |
法橋に叙任。叙任の礼に屏風一双などを宮中へ献上する。
後妻・妙清没(享年45歳)。 |
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慶長10年 |
1605 |
67 |
法眼に叙せられるか。 |
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慶長11年 |
1606 |
68 |
「龍虎図屏風」(アメリカ・ボストン美術館蔵)を描く。 |
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慶長12年 |
1607 |
69 |
「竹林七賢図屏風」(京都市・両足院蔵)を描く。 |
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慶長13年 |
1608 |
70 |
「日通上人像」(京都市・本法寺蔵)を描く。
「弁慶・昌俊図絵馬」(京都市・北野天満宮蔵)を描く。
大徳寺「龍光院障壁画」(現存せず)を描くか。 |
日通上人没(享年58歳)。
大徳寺龍光院創建。 |
慶長14年 |
1609 |
71 |
「玉甫紹j像」(京都市・高桐院蔵)を描く。
「十六羅漢図屏風」(京都市・智積院蔵)を描く。 |
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慶長15年 |
1610 |
72 |
江戸下向到着後、没。 |
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